3年ぶりに開催が決定した秋田県鳥海山の麓で開催される大会に向けて日々頑張っているコルナゴC40です。先日、地方紙の記事を読んでいましたら、今から54年前に発生した十勝沖地震に関する記事が載っていました。上記の記事です。その記事を読みながら、ふと、そういえば5月は小生の記憶では地震などの災害が多かったことを思い出しました。実際に体験した災害で一番古いのは1960年(昭和35年)5月24日に発生したチリ地震津波です。地球の反対側チリで発生したマグニチュード9.5と観測史上最大級の地震による津波が発生から23時間後に日本の太平洋岸に到達したのです。小生は自宅の近くの崖上から押し寄せる津波を見た記憶が未だに残っています。
それから8年後の1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分には八戸沖を震源とするマグニチュード7.9の十勝沖地震が発生しています。この地震では旧名川町の剣吉中学校の生徒6名を含む死者・行方不明者52名の方が被害に遭われています。小生も授業中、校庭に避難しようとした際、廊下の電灯のカバーが落下してきて直撃する寸前で間一発助かったことがありました。またその後余震が何度も襲ってきた怖い思い出があります。
十勝沖地震から15年後の1983年(昭和58年)5月26日午前11時59分には秋田県能代沖80kmの地点で発生したマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生しています。震源地が陸地に近かったため地震発生とほぼ同時に津波が襲い、津波で100名の犠牲者を数えております。この中には男鹿市の遠足に来ていた小学生13名が含まれています。当時、小生は盛岡市が勤務地であったためただならない強い揺れを感じたことが記憶として残っています。
最後になりましたが、自然災害ではないですが、1961年(昭和36年)5月29日に発生した白銀耐火について触れたいと思います。発生時刻は深夜11時40分頃です。この火事は放火によるものでした。当日は台風から変わった温帯低気圧の影響で35メートルの強風に煽られて5時間に渡り延焼が続いて700棟、1000世帯が全焼、被災者5000人の大災害でありました。この火災により白銀町の全戸数のうち約70%が焼失したそうです。小生も真夜中に家族に起こされて大久保の山のへ逃げたことを覚えています。家を出ると折からの強風で三嶋神社の方から無数の火の粉が屋根を越えて舞っていました。さいわい家は延焼を免れましたが、2~3軒隣まで焼失していました。
5月の災害とは関係ありませんが、先日、新聞に掲載されていた日本海溝沿い地震による被害想定などの記事を読むと、東日本震災から11年しか経っていないのに、それを上回る規模の災害が発生するおそれがあることは恐怖でしかありません。いつ、どんな災害に遭遇するか分からない時代、お互い日頃から防災意識をもってしっかりと備えをしておきましょう。